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乳酸菌はどうやって発見された?

微生物を発見したレーウェンフック

乳酸菌発見の歴史を紐解くと17世紀まで遡ります。1674年、「微生物学の父」と呼ばれたオランダの科学者アントニ・ファン・レーウェンフックは、歴史上初めて顕微鏡を使って微生物を観察しました。
もともとはオランダで小さな織物商を営む商人で、専門的な教育は受けていませんでしたが、虫眼鏡を使って洋服生地の細部を見ていたため、レンズの取り扱いには熟達していたそうです。

顕微鏡を自作する

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レーウェンフックは仕事の空き時間にレンズ磨きの腕を上げるうちに、自作の顕微鏡を作ってみようと考えます。そして倍率266倍の顕微鏡を自作します。観察記録から推定すると、実際には500倍に達していたという説もあるそうです。
この顕微鏡は当時としては世界最高の倍率で、ほかの顕微鏡と比べて10倍以上も倍率が高かったとか。誰よりも好奇心旺盛なレーウェンフックはこの自作顕微鏡でさまざまな小さな生物を観察します。

観察で様々な微生物を発見する

ある日、湖から採取した水を観察していると、これまで誰も報告していない奇妙な動く物体を発見します。そして「アニマルクル=微生動物」と名づけました。
このようにしてさまざまな微生物の観察を続けるうちに、ヒトの糞便から数多くの腸内細菌を観察します。ほかにも野菜や動物の乳の中に生息する微生物も観察したと言われていて、この中には乳酸菌も含まれていると言われています。

生涯で500以上の顕微鏡を自作したレーウェンフックは人類史上初めて微生物を発見した科学者であり、乳酸菌発見の最初の一歩を刻んだ人物だったのです。

世界で初めて乳酸菌を研究したパスツール

世界で初めて乳酸菌を発見したのはフランスの科学者であり「近代細菌の祖」として知られるルイ・パスツールです。フランスで皮なめし職人の息子として生まれたパスツールは、1843年にパリの高等師範学校に入学し、1846年には博士号を取得します。

酵母でアルコールが発酵する仕組みを解明

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彼が微生物研究に没頭するきっかけとなったのは、アルコール醸造所からの「ワインの腐敗原因を調べて欲しい」という依頼でした。そこで彼は酵母の働きによってアルコールが発酵する仕組みを突き止めます。

研究過程で乳酸菌を発見

1857年、ビール会社の依頼でアルコールが酸化する原因を調べていたパスツールは、研究の過程で乳酸菌を発見します。当初は乳酸菌とは呼ばれずに「乳酸酵母」と名付けられました。酸素のない環境でも活動することのできる嫌気性菌を発見したのもパスツールで、これが後のビフィズス菌発見に繋がることになります。

発酵や腐敗を行う微生物の働きを解明

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また食品の腐敗が加熱によって防げることを明らかにし、1862年にはフランスの医師クロード・ベルナールとともに、後に低温殺菌法と呼ばれる最初の実験を行います。
パスツールは乳酸菌の研究も本格的に進め、これまで謎とされていた発酵や腐敗といった微生物の働きを解明し、他の生物と同じように増殖し死滅することを初めて科学的に明らかにしました。
それまでは「微生物は自然に発生するもの」と考えられていましたが、パスツールはその説を否定し「すべての生物は生物から発生する」という有名な言葉を残します。

新たな培養方法が考案される

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パスツールによって微生物による発酵と腐敗の仕組みが解明されると、ドイツのロベルト・コッホは微生物を培養するための新たな方法として「平板培養法」を考案します。従来の液体培地で細菌を培養する方法とは異なり、固形培地上に細菌のコロニーを作らせ確実に細菌を分離できる画期的な方法でした。

世界で初めて乳酸菌の分離が成功

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1873年、イギリスの外科医ジョゼフ・リスターが酸乳からバクテリウム・ラクティス菌を分離し、乳酸菌の分離に世界で初めて成功しました。この菌は現在ではラクトコッカス・ラクティス菌と呼ばれ、伝統的なヨーグルトやナチュラルチーズを発酵させる乳酸菌として知られています。
1887年にはパスツールの名を冠したパスツール研究所が開設されます。パスツールは1895年に亡くなりますが、やがて彼の門下生によって新しい乳酸菌が次々に発見されていきます。

ビフィズス菌を発見したティシエ

ビフィズス菌の基本種を発見

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1899年、パスツール研究所のH・ティシエは母乳で育った乳児の糞便から新しい嫌気性菌であるビフィズス菌を発見します。その菌は先端部分がV字やY字に枝分かれした個性的な形をしていたことから、ラテン語で「枝分かれ」を意味する「ビフィドゥス」という言葉を採用し、最初は桿菌に分類されバチルス・ビフィダスと命名されました。
しかしティシエはビフィズス菌を一つの属として独立させるべきだと主張し続け、さまざまな経緯を辿って1924年にビフィドバクテリウム属に再分類されました。

ビフィズス菌は現在までに約30種類がヒトや動物の糞便などから分離されていますが、ティシエが発見したビフィドバクテリウム・ビフィダムはその最初の基本種だったのです。

母乳とビフィズス菌の関係に着目する

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また、ティシエは腸疾患を持った患者にビフィズス菌を投与することで、腸内フローラを正常な状態に変えて治療する方法を提唱していました。やがてティシエは母乳で育った子どもと人工乳で育った子どもを比較して、母乳で育った子どものほうが死亡率が低いことに着目します。
そしてヒブィズス菌が乳児の健康維持に貢献し、腸疾患からの回復を促すという結論を導きます。

後に母乳にはビフィズス菌を増やす因子が含まれていて、母乳を飲むことで早期に乳児の腸内環境がビフィズス菌優位になることが分かりますが、ティシエはビフィズス菌と子どもの健全な発育の関係に最初に着目した人物だったのです。

アシドフィルス菌を発見したモロー

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1900年、オーストリアのグラーツ大学で研究を行っていたE・モローは、乳児の糞便からビフィズス菌とは別の乳酸菌を発見し分離に成功します。この菌をモローはアシドフィルス菌と命名しました。後にアシドフィルス菌は乳児の腸内だけではなく、成人や動物の腸内や口腔、膣内にも広く生息していることが明らかになります。

さらにモローは、アシドフィルス菌を始めとする腸内の常在菌が、外部から侵入してきた病原菌などの異物に対して何らかの防御的な役割を果たしているのではないかと考え研究を行いました。
乳酸菌によって腸内の免疫細胞を活性化することで、細菌やウイルスなどの病原菌から身を守る仕組みは後の研究で解明されていますから、モローは腸内細菌と免疫との関係を明らかにするきっかけを作った研究者でした。

ブルガリア菌を発見したグリゴロフ

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今日、私たちが食べているヨーグルトはブルガリア菌とサーモフィラス菌という2つの乳酸菌を組み合わせて発酵させています。このうちブルガリア菌を発見したのはブルガリア生まれの医学部生スタメン・グリゴロフです。

ブルガリアヨーグルトから3種の乳酸菌を発見

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スイスのジュネーブ大学医学部で細菌学を専攻していたグリゴロフは、ある日、妻からブルガリアのブスィンツィー村で伝統的に使われている壷ロカットゥカに入ったヨーグルトを貰います。
さっそくジュネーブ大学に戻ったグリゴロフは、壷に入ったヨーグルトの発酵菌研究に没頭します。そして何千回もの実験を重ねた末に、1905年ついにブルガリアヨーグルトから3種類の乳酸菌を発見しました。
グリゴロフが27歳のときでした。

ブルガリア菌の発見でヨーグルトが世界に広まる

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そのうち細長い形をしたものをバチルス・ブルガリクスと命名します。ブルガリクスとはその名の通りグリゴロフの故郷ブルガリアの意味で、この菌によってブルガリアヨーグルトの発酵が促され、独特の酸味と風味がもたらされるという研究結果を発表します。
後にブルガリア菌と呼ばれるこの乳酸菌の発見はヨーグルトが世界中に普及する大きなきっかけとなります。
そしてグリゴロフの旧知の仲であったロシアのノーベル医学生理学賞学者イリヤ・メチニコフは、乳酸菌による健康長寿効果をまとめた「不老長寿論」を1907年に発表します。

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