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乳酸菌は奈良時代から重宝されていた?

ヨーグルトやチーズは奈良時代から作られていた

搾乳の知識と一緒に伝わった乳製品

漬物、納豆、味噌、醤油と、日本は世界有数の発酵食品大国です。これらは乳酸菌、麹菌、酵母菌といった微生物の力を借りて作られます。
その歴史は古く、日本では奈良時代の天平年間(729~749年)の木簡(木の札)に書かれた瓜の塩漬けが文献上に残る最古の記録です。

では乳酸菌はどうなのでしょうか? 世界では紀元前から発酵食品作りに乳酸菌が活用されてきましたが、日本では奈良時代には生乳を乳酸菌で発酵させた食品が存在したことが分かっています。
そのきっかけとなったのは飛鳥時代に朝鮮半島から仏教とともに伝わった搾乳の知識です。そのときに一緒に伝わったのが「酪(らく)」「酥(そ)」「醍醐(だいご)」「蘇(そ)」といった乳製品でした。
これらが今で言うヨーグルトやバター、チーズの原型と推定されています。

百済から乳製品が天皇に献上される

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645年、百済から来た帰化人である善那という人物が、牛乳と酪や酥などの乳製品を孝徳天皇に献上したことが「新撰姓氏録」に記されています。
日本人が乳と出会ったのはこの頃だというのが今では定説です。当時は牛乳を滋養強壮の薬の一種として、天皇や貴族の間で飲まれていたことが分かっています。
701年に制定された大宝律令では、都の近くに酪農家を集めた乳戸というものが設けられ、皇族用の搾乳場に定められました。

貢蘇の制度ができる

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718年、元正天皇の時代になると蘇作りが七道諸国に命じられ、献上されるようになります。
この「貢蘇」の制度は鎌倉幕府が滅亡する1333年まで続きました。つまり善那が天皇に牛乳を献上してから鎌倉幕府が滅亡するまでの約700年間、日本には乳文化が存在していたのです。

当時は高価なもので庶民には広がらなかった

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しかし、これらの乳製品は朝廷への献上品として納められるほど希少で高価であり、当時の日本で動物の乳を摂る習慣もなかったために庶民にまで広がることはありませんでした。
やがて朝廷の衰退による武士の台頭、肉食を禁忌とする仏教の影響などもあって、このような乳製品の文化は途絶えてしまいます。

酥は奈良時代のバター

搾ったままの牛乳を放置しておくと表面にクリームのようなものが浮き出てきます。これを「浮皮」と古代の日本人は呼びました。
浮皮を掬い取ったものを「酥」と呼び、今で言うところのバターに相当します。なお、蘇とは異なるものです。
酥は皇族と貴族の間で滋養強壮の薬や儀式用として重宝され、新年になると朝廷では必ず酥と甘栗が振る舞われたと記されています。
しかし、平安末期になると武士の台頭によって朝廷の力は弱まり、牛よりも軍馬の生産に重点が置かれるようになったため、貢蘇は廃れていきました。

醍醐はバターオイル

醍醐は酥を加熱して浮皮を何度も掬い取り、さらに加熱を繰り返し濃縮して出来たもので、濃厚な味わいとほのかな甘味を持つ液汁とされています。
醍醐は乳の五味「乳、酪、生酥、熟酥、醍醐」の中で最も美味しいものという意味です。「これ以上のおいしさはない」ことを醍醐味と言いますが、この言葉の由来となったのが醍醐です。
それほど最高に美味と言われた醍醐ですが、残念ながら製法は既に失われているため、どのような乳製品であったかははっきりとは分かっていません。
バターオイルのようなものという説や、飲むヨーグルトのようなもの、蘇を熟成させたものといった説がありますが、バターに近いものだったことは間違いありません。

酪はヨーグルト

酪は表面のクリームを取った残ったものを発酵させたもので現代ではヨーグルトにあたります。これをさらに煮詰めて日光で乾燥させて作られていたのが今で言う脱脂チーズに相当する「乾酪」という食品でした。
ほかにも牛乳を発酵させ布袋に入れて吊るし、乳清(ホエイ)を除いたものを釜で煮て作る「淳酪」、これを日光で乾燥させた「漉酪」など現代の日本にはないさまざまな乳製品が作られていました。
しかし、武士の台頭によって乳文化は広がることなく醍も途絶えてしまいます。ヨーグルトが日本の歴史に再び登場するのは明治に入ってからです。

蘇はチーズ

蘇は貢納されていた

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平安時代中期に律令を書物にまとめた「延喜式」によると、蘇を作る方法は「乳を一斗を加熱し、一升の蘇が出来る」という記載があります。
つまり生乳を1/10に濃縮したものが蘇で、陶器の壷や木の籠に詰めて宮中に貢納したと記されています。
典薬寮の乳牛院が生産を担っていて、主な生産地としては、摂津国・味原の乳牛牧、現在の大阪府東淀川区の一部などが記録として残っています。
また当時の日本では東国でもたくさんの牛が飼育されていて、蘇を貢納していました。つまり古代の日本では乳牛が飼育され、そこで作られた乳製品を貢納する仕組みが存在したということです。

今で言うラムスデン現象によって作られる

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蘇は牛乳を一日かけてゆっくりと攪拌しながらひたすら煮詰めて濃縮したもので、これも古代日本固有の乳製品で、現代の日本にはありません。
牛乳を鍋や電子レンジで温めると表面に膜が出来ますが、これをラムスデン現象と言います。蘇はこのラムスデン現象によって出来た膜を箸や竹串などで掬い取って作ります。
当時の日本では高級品であり、不老長寿や強精に効くと考えられていたため、口にすることができるのは天皇や貴族に限られていました。皇族や大臣が集まる宴席には欠かせない食品だったとか。

ただし、日本の気候風土ではこのままの濃縮牛乳の状態では腐ってしまうため、なんらかの処理がされていたと言われています。
もしこの処理が発酵であったとすると、日本で初めての発酵チーズということになり、発酵させなかった場合はフレッシュチーズということになります。

正確な製法は不明だが、作ろうと思えば作れる

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蘇は文献にはありますが製法が失われた食品です。現代では、文献を元にさまざまな人が蘇の復元に挑戦しています。
原料乳の生産牛種も不明のため本当に当時の蘇と同じものかは定かではありませんが、インターネット上にはいくつかレシピが公開されています。
牛乳を長時間煮詰めて作る簡素な乳製品のため比較的簡単に挑戦することができます。時間と根気がある方は試してみてはいかがでしょうか。

奈良時代を起源とする鮒寿司

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私たちが普段から食べているお寿司のルーツは、魚を塩と米飯で乳酸発酵させて作る「なれずし」です。
滋賀県の郷土料理である鮒寿司もなれずしの一つで、その歴史は奈良時代まで遡ります。「延喜式」には「近江国の鮒寿司が朝廷に貢納された」という記載があり、奈良時代には多くの人が食していたことが窺えます。

鮒寿司とは

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鮒寿司は滋賀県の名産であるフナを近江米で炊いた飯と塩で漬け込み、樽の中で半年以上、乳酸発酵させて作ります。独特の強い発酵臭のする食品として全国的に知られています。
これはタンパク質が乳酸発酵したことによって発する臭いで、pHを下げることで雑菌の繁殖を防ぎます。熟成が進むとフナのタンパク質が分解されてアミノ酸が生成され旨みとなります。ちなみに米飯で漬けた後に酒粕に漬け直すと発酵臭が抑えられるそうです。

乳酸発酵させて作る鮒寿司は生の鮒よりもミネラルやビタミンB1が豊富に含まれています。骨ごと食べるためカルシウムも摂ることができます。

奈良時代では健康食品の位置づけ

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鮒寿司が日本の歴史に初めて登場するのは奈良時代初期の「養老律令」です。当時は料理というよりは、滋養強壮のための健康食品という位置づけだったそうです。この鮒寿司をはじめ乳酸発酵させて作る「なれずし」は奈良時代には国内に広まっていました。

鮒寿司に存在する乳酸菌の種類

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鮒寿司を発酵させている乳酸菌は多種多様で、ラクトバチルス属とペディオコッカス属の菌株を中心に、100種類前後の乳酸菌が存在していることが確認されています。
その中でもラクトバチルス属ブフネリ種は、乳酸のほかに酢酸や多価アルコールのプロピレングリコールを作り出す性質を持ち、殺菌力が強く有害菌を抑える働きが期待されています。
近江地方で鮒寿司は健康維持効果が高い食品として昔から親しまれてきました。乳酸菌が豊富に含まれているため、腸内環境を整える効果が期待でき、便秘や下痢に効果があるとされています。

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